鎌倉ハムのはじまり 鎌倉ハム村井商会の歴史 創業者 村井菊次郎



明治後期の南京町(現在の横浜中華街)当社の前身武田屋(写真右)




当社の創立は昭和4年1月16日、村井菊次郎の個人商店として出発しました。
村井菊次郎の義祖父 小手五左衛門(千葉県武射田[むさた]の出身)はこのハムの加工にひどく興味をもち、なんとかして日本人の手で作ってみたいと考え、加工原料を納入していたので、折にふれその秘伝と称するものの習得に努力を重ねました。

当時のハムは豚肉を骨付きのまま洞穴の冷所に塩漬にして保管し、数ヶ月の歳月を要してハムを誕生させるという現在の冷凍加工設備から考えると想像もつかない製造方法がとられていました。
ハム製造の技術は小手五左衛門から息子の小手増次郎へと受継がれ、名門食肉卸問屋の屋号「武田屋」を用い、「武田屋の鎌倉ハム」として商品化されていき、需要が増すにつれて、ハム加工に本腰を入れるべく横浜元町の裏手の山に洞穴を掘り此処を拠点として、ホテル・高級レストラン等に製品を納入しました。
武田屋の鎌倉ハムは原料品質の好いことからも評判を得、日本ハムとして遠くシンガポールまでも輸出するようになりましたが、大正12年、せっかく軌道に乗り出した時、折り悪しく関東大震災が起り、元町の冷蔵庫は一瞬にして陥没の憂き目に会いましたが直ちに復興にとりかかり、以前にも増した盛業の豚肉卸問屋を築き上げました。

村井菊次郎は、千葉県の出身であるところからこの武田屋に入職し、義兄辻本信千代(元鳥清畜産工業(株))共々加工技術の習得に努めました。戦後武田屋三代目の子息が長ずるに及び、前掲辻本は関西に進出して鳥清畜産を興し、村井は、高座豚の飼育と加工までの一貫工場を目指して昭和4年横浜市保土ヶ谷区川辺町に工場を建設。昭和30年には、日本水産株式会社と業務提携をし、以来畜肉加工品の受注、船舶用食料及び畜肉加工品の原料供給等、緊密な取引を行って参りました。

その後昭和34年には株式会社に改組し昭和46年に将来の事業発展を期し、本社並びに工場を現在の横浜市瀬谷区卸本町に新設の上営業を開始いたしました。
総合的な食肉を扱う食肉卸売り会社として業容を拡張するとともに、"鎌倉ハム"の伝統を受け継ぐメーカーとして、伝統技術の保持と、良質の食肉の扱い者として原材料を見極め、製品に生かすことができる特質を発揮して、"鎌倉ハム"の"発祥の誇り"をいまに守り続けています。

また、オーガニック(有機)ビーフやナチュラルビーフをはじめ、"安全・安心"な商材に取り組んでいることは無論のこと、ミナト横浜に根付く"進取の気風"に溢れる食品の創造・開発を推し進め、皆様にご提供しています。

昭和30年代の当社の商品


 
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